TERUHIKO BLOGてるひこブログ

イッパチ会門屋組青年会議所

第48回愛媛マラソン大会(足の痛みとの闘い)

2010-02-01 15:02

P1001644 『スタートの合図を待つDブロック』

 1月31日(日)、パラパラと雨が降りしきる中、第48回愛媛マラソンが盛大に開催された。堀之内公園で準備を整えた愛媛マラソンランナー3490人は、A~Dブロックの4ブロックに分けられ、スタートの合図が鳴らされるのを、ただじっと待つのであった。そして時計の針が9時を指したと同時に、第48回愛媛マラソンはスタートを迎え、3490人のランナーたちは一斉に県庁前のスタートアーチを潜り抜けた。
 スタート早々に、前へ足を踏み出すと同時に、左足首が「ズキン、ズキン」と悲鳴を上げる。朝一、サポーターで足を固めるも全く効果がないようだ。しかし、そんなお情けは誰も聞いてはくれない。ここからは自分との闘いである。とにかく、門屋組本社前までは絶対に行こうと心に決め、前へ前へと走った・・・。
 3K地点ぐらいから左足首の感覚が麻痺し始め、痛みが無くなってきた。これはチャンスと思い、一気にペースを上げていった。そして、5K地点少し手前である門屋組本社前まで到達することに成功した。そこでは、沿道に門屋組のみんな、家族のみんな、イッパチ会の清水さんが、必死に私たちランナーたちへ応援してくれた。涙が出るほど嬉しかった。そんな本気の声援を受け勇気をもらった私は、更に前へと走った・・・。しかし、7K地点辺りから麻痺していた左足首に異変が起こり始めたのであった。
 何とか左足首に負担をかけさせまいと、全体重の70%を右足に負担をかけさせた。そうすると、自ずと足を引きずるような格好になってしまった。しかし、沿道から「頑張れ~」、「大丈夫~」、「無理しないように~」と、声をかけて下さる地域の方々の力強い声援により、足と心は元気を取り戻した。そして、更に前へと走った・・・。
 10K地点に到達し、いよいよ北条バイパスにある2つのトンネル越えをしなくてはならない。暗くて寂しいトンネルで、また心が折れそうになった。しかし、また心が折れそうな私に、共にランナーとして走っていた株式会社オートプロジェクトの恵美さんが「足大丈夫ですか?」、「頑張りましょう」と、笑顔で声をかけてくれた。そして更にその後、イッパチ会の越智くんと山路くんのお二人が「あ~門屋さん、足大丈夫ですか?」、「頑張りましょう」と、声をかけてくれた。暗くて寂しいトンネル内で、心が折れそうな私に、また走る勇気をいただいた。更に前へと足を進める・・・。
 15K地点の看板が見えてきた。ここまで来れたことに、自分自身でも正直驚きである。これも沿道からの応援、そして共に走るランナーたちのおかげである。16K、17K、・・と確実に前に進んでいる私の体も、ついに限界が訪れたようである。激しく冷たい雨に見舞われた体は、体の芯まで冷え込んでしまい、全身が麻痺してきた。そして20Kの看板が見えた時、後方から走ってきた広報車に、「たった今、20K地点が封鎖されました。」、「ランナーの皆さん大変お疲れ様でした。」、「輸送バスにお乗りください。」と通達された。完走出来なかった悔しさと、もっと走れたんじゃないかという自分自身の甘さ、そして必死に応援してくれたみんなの顔を思い描いただけで、涙が出そうになった。こうして、私の第48回愛媛マラソン完走の夢は途絶えてしまった。
 輸送バスにて帰ってきた堀之内公園で待っていたのは、おせったいの心満ち溢れた温かいいも炊きと、おもてなしの心であった。これは、(社)松山青年会議所が設営していたいも炊きブースで、体が冷え込み体力が削られたランナーたちや、マラソンランナーたちを沿道で応援していただいた地域の方々への感謝のブースである。本日私はランナーとして、いも炊きをご馳走になった。ランナー一人一人に対し、松山JCメンバーたちはいも炊きを手渡すと同時に、「お疲れ様でした」と声をかけて拍手で見送ってくれた。堀之内公園で最高のおもてなしを受けた私は、足を引きずりながら家族の待っている家へと帰宅したのであった。
 第48回愛媛マラソンは、皆さんの期待に反して完走することは出来ませんでした。しかし、このマラソンに出場して色んなことを考えさせていただきました。何事にも「挑戦する気持ち」、「諦めない気持ち」、そして応援してくれた地域の方々・家族・門屋組のみんなへの感謝の気持ちが、更に大きくなったことであります。来年の第49回愛媛マラソンでは完走目指し、今年1年間日々精進して行きたいと思います。応援していただいた皆様、そして最高のおもてなしをしていただいた(社)松山青年会議所の皆様、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。
 PS:門屋組韋駄天王子(松山陸協)佐伯 寿典さんの完走タイムは、2時間41分11秒で、3279人中26位という成績であった。今までの自己ベストということで、新コースに相応しい素晴らしいランを見せて下さいました。また来年も自己新記録を出して下さいね。

P1001643 『スタート前状況』

 足は痛かったものの、まだ余裕のある顔を見せていた私。しかし、ホントは不安で不安で仕方なかった・・・。写真を担当してくれた越智くんと山路くんは、最高の笑顔を見せていた。

P1001645 『スタートアーチを目指して・・・』

 スタートの合図は鳴ったものの、3490人のランナーたちが一斉にスタートすると、中々前に進むことが出来なかった。県庁前に設置されたスタートアーチを目指した。

P1040064 『門屋組本社前』

 ランナーたちを応援する門屋組のスタッフ一同。マル留の社旗を持って、必死にランナーたちを応援した。その時、緑のゴミ袋を纏った、イッパチランナー黒田さんが軽快な走りで通過していった。※写真中央左の緑の人

P1040047 『門屋組本社前2』

 門屋組社屋に取り付けられた「祝 ランナーたちの健闘を祈る!」と「いよぎんIRCニューリーダーセミナー18期 イッパチ魂で松山路を完全制覇」の2つの垂れ幕の横に、「愛媛マラソン出場 門屋社長 佐伯君ガンバレ!!」と窓に掲げられていた。この門屋組みんなのサプライズの計らいに、私と佐伯さんは心から感謝しました。みんな、ありがとう!!!

CIMG2578 『門屋組本社前3』

 この瞬間、スーパーマリオのスターを取った時の如く、私は無敵状態になったのである。みんなの気持ちが一つになった・・・。応援していただきまして、本当にありがとうございました。

P1001648 『10K地点に到達』

 10K地点に到達し、いよいよ北条バイパスにある2つのトンネル越えをしなくてはならない。暗くて寂しいトンネルで、また心が折れそうになった。

P1001651 『15K地点に到達』

 15K地点の看板が見えてきた。ここまで来れたことに、自分自身でも正直驚きである。これも沿道からの応援、そして共に走るランナーたちのおかげである。

P1001655 『18K地点に到達』

 周りのランナーたちは誰もいなくなってきた。16K、17K、・・と確実に前に進んでいる私の体も、ついに限界が訪れたようである。激しく冷たい雨に見舞われた体は、体の芯まで冷え込んでしまい、全身が麻痺してきた。しかし、どんな状況であろうと腕だけは必死に振り続けた。

P1001658 『20K地点到達』

 20Kの看板が見えた時、後方から走ってきた広報車に、「たった今、20K地点が封鎖されました。」、「ランナーの皆さん大変お疲れ様でした。」、「輸送バスにお乗りください。」と通達された。完走出来なかった悔しさと、もっと走れたんじゃないかという自分自身の甘さ、そして必死に応援してくれたみんなの顔を思い描いただけで、涙が出そうになった。

P1001659 『輸送バスに乗り込んで・・・』

 輸送バスに乗り込んで、堀之内公園まで送ってもらうことを余儀なくされた。こうして、私の第48回愛媛マラソン完走の夢は途絶えてしまった。

P1001660 『強制送還』

 輸送バスの中では、ランナーたち同士の会話は無く、ただ心身共に疲れた体と冷え切った体の回復を待つばかりであった。この時に手渡された毛布が最高に温かかった・・・。

P1001663 『おもてなしブースにて・・・』

 輸送バスにて帰ってきた堀之内公園で待っていたのは、おせったいの心満ち溢れた温かいいも炊きと、おもてなしの心であった。これは、(社)松山青年会議所が設営していたいも炊きブースで、体が冷え込み体力が削られたランナーたちや、マラソンランナーたちを沿道で応援していただいた地域の方々への感謝のブースである。

P1001664 『温かいいも炊き』

 本日私はランナーとして、いも炊きをご馳走になった。ランナー一人一人に対し、松山JCメンバーたちはいも炊きを手渡すと同時に、「お疲れ様でした」と声をかけて拍手で見送ってくれた。

P1001667 『ブルージャンパーの団結力』

 2010年度から作られた(社)松山青年会議所のJCIマーク入りのブルージャンパーであります。ブースの内外を見てみると、ブルージャンパーのJCメンバーは、今まで以上の団結力を見せていました。最高のおもてなしをいただきまして、誠にありがとうございました。

DSC03616 『今宵のマラソン打ち上げにて・・・』

 イッパチ会のメンバーの皆さんと、第48回愛媛マラソンの完走打ち上げを「蛍」で行いました。足を引きずりながら集ったこの場では、お互いを讃え、お互いの労い、楽しく懇親を深め合いました。お店を出ると、偶然にも衆議院議員、塩崎恭久先生と奥様に出逢わせていただきました。そして快く、記念写真を撮って下さいました。塩崎先生、本当にありがとうございます。